小さな川の悲劇

6月11日

朝の電車で今にも吐きそうなおっさんがいた。

周りの乗客は何かを察してその場から蜘蛛の子を散らすように逃亡していった。

朝から見知らぬおっさんの吐瀉物が服に付くなんて、悪夢以外の何物でもない。逃亡したくなる気持ちは理解できる。

しかし、私は他の乗客とは違った。私は生まれ持った優しさを発揮し、リュックサックの中に携帯しているビニール袋を取り出し、おっさんに「大丈夫ですか?」と声をかけながら渡した。

返答がなかったため、私もその場から逃亡した。

遠くから眺めていると案の定おっさんは嘔吐した。が、私のビニール袋のおかげで電車の中に吐瀉物が撒き散らされる悲劇は免れた。

誰もがこの事実に安心し、心の中で私に拍手喝采を送っていたことだろう。

誰もが安堵のため息をついたその時、現実は非情な顔を見せる。

その袋にはどうやら小さい複数の穴が空いていたようであった。大半の吐瀉物は袋に受け止められたが、小さな穴から汁がポタポタと垂れていた。

どうやら私のぐちゃぐちゃなリュックサックの中で揉まれてその袋には穴が空いてしまっていたようだ。

私が罪悪感を抱きながらも無関係者ぶっていると、1人の女が勇気をもってビニール袋を渡しに行った。

女の袋の中に私の袋が入れられ、吐瀉物の汁の雨はようやくやんだ。

これでようやく一安心であったが、その頃には車両内に小さな川が完成していた。

そこで私は電車を降りたのでその後のことは知らない。

では、この事件の真犯人は誰なのだろうか。

多くの人は、体調管理を怠って電車内で嘔吐したおっさんが真犯人だと考えるだろう。

確かに、彼がいなければこの事件は始まらなかった。

しかし、私の考察はさらに深掘りする。

確かに、私が袋を渡していなかったら電車内に吐瀉物の全てが撒き散らされていた可能性はある。

もし私が袋を渡していなかったら、どうなっていただろう。 もしかしたら、別の人が穴の開いていない袋を渡していたかもしれない。

あるいは、おっさん自身が実は袋を持っていて、袋を取り出すことで安心し、嘔吐してしまうことを恐れて出していなかった可能性も否定できない。

もしそうだった場合、私は一時的な安堵を周りの乗客に与えただけで、結果的に最も悪い選択をしていたことになる。

私が袋を渡さなければ、床に吐瀉汁がこぼれなかった可能性が高いのである。

また、当日は雨が降っていたため全体的に床が濡れていた。吐瀉汁のみが垂れた場合どこまでが雨でどこまでが吐瀉汁なのか非常にわかりにくく、この事件を知らない乗客が知らぬ間に踏んでしまう可能性が非常に高い。

吐瀉物の全てが床に落ちていた場合、乗客は吐瀉物を避けることができるだろう。しかし、吐瀉汁と雨を瞬時に見分けることなど常人には不可能である。

よって、私がたくさんの被害者を生み出してしまった可能性が高いのである。

こう考えるとおっさんではなく私が真犯人であると思えてくるだろう。

今回の出来事からまず最初に痛感したのは、優しさの難しさだ。

私は確かに善意から行動した。吐きそうなおっさんを見て、反射的に助けたいと思った。しかし、その善意が必ずしも良い結果に繋がるとは限らない。

むしろ、私の場合は裏目に出た。穴あきビニール袋を提供したことで、かえって状況を悪化させてしまったのだ。

「真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である」という有名な言葉がある。

今回の私の行動は「無能な味方」の最たる例と言えるだろう。

良かれと思ってしたことが、結果的に混乱を招き、さらなる被害を生む。

安易な善意の押し付けは、時に悪意と同じくらい危険なのだと教えてくれた。

何か行動を起こす前に、本当に相手のためになり、状況を悪化させないかを冷静に考える必要がある。

そして、あの床にできた「小さな川」

あれは単なる吐瀉物の液体ではなかった。私にとっては、「責任の川」であった。

雨で濡れた床に、私の袋から漏れた吐瀉物が混じり、どこまでが雨でどこまでが吐瀉物なのか判別できないという状況。

これは、自分の行動が、意図せずして周囲にどれほどの影響を与えるかを示している。

最後に、あの女から学んだこと。

彼女は私の穴の空いた袋ごと受け止めてくれた。

彼女の行動は、私の「中途半端な優しさ」「真の行動力」のコントラストを鮮やかに浮き彫りにした。

彼女は、私の失敗をカバーしてくれただけでなく、私自身の「偽善性」のようなものまで露呈させたように感じた。

この一件で、私は自分の未熟さを痛感した。

今回の吐瀉物事件は私の今後の行動、そして人生について深く考えさせられるきっかけになった。

善意を行動に移す前に、常に冷静に、そして客観的に状況を判断する。そして、自分の行動がもたらす影響を深く考察する。

これからの私は、そうありたいと強く思う。


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MIYAK

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